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TJAR参戦記~レース後~

リタイアを宣言した後、市野瀬まで行った。

そこで、岩崎選手と会い、温泉に入った。足裏を除いて、身体の状態は悪くない。眼は不安だが、夜が明けてからは症状は出ていない。この状況でリタイアすることに、なんだか違和感を覚える。しかし、眼についての不安はぬぐえない。

汚れた荷物は送り返し、小ざっぱりして、市野瀬を後にする。武田さんに茅野駅まで送ってもらい、あずさに乗って東京に帰る。電車の中では、ひたすら寝る。家の帰ってからも、ひたすら寝る。

翌朝、行きつけの眼科に電話し、診察していることを確認する。そして、午後おそるおそる眼科の門をくぐった。診断は、眼筋麻痺。要するに眼球を動かしている筋肉の一部が麻痺し、左右の眼球の動きがズレたということだそうだ。しかし、脳梗塞などが起こると、似たような症状になることもあると言われ、精密検査を受けることに。ま、結果何もなかったわけですが。要は、眼の筋肉が攣ったということです。疲れがたまっていた、ということ。そして、それが弱いところに出たのでしょう。

週末は、実行委員に戻った。大浜海岸にゴールしてくる選手を迎えると、嬉しい気持ちと共に、少し物悲しくなった。自分は、なぜここにゴールできなかったのか。それを考えつつ、選手を迎えていた。

2008年の自分もそうだったが、完走した選手は、ボロボロなのだが、みんな心はスッキリしている。何とも言えない達成感に包まれている。それを、味わいたかった。心からそう思った。

そして、完走は難しいかと危ぶまれた宮崎選手が、無事ゴールした時は、鳥肌が立った。やはり、TJARの魅力はここにあるのだ!片目でもいいから一歩一歩進めば良かったのではないか?実行委員がトラブル起こしてはいけないというのは、自分への言訳だったのではないか?そういう気持ちがこみ上げてきた。やはり、完走した人の気持ちは強い。身体のトラブルを越える強さがある。

宮崎選手の完走を見て、平井選手のリタイアの無念さを感じ、岩崎選手の執念を見て、やはり2年後にまたスタートラインに並びたくなった。謙虚に地道にトレーニングを続ければ、きっと再び完走できると思う。次回は、体調を整え、十分に身体と心と物資の準備をした上で臨みたい。海外のレースは、まだお預けだな。

8月26日(日)トレーニングを再開。といっても、リハビリモード。浮腫みは90%くらい解消されたが、足裏は大きく皮がむけた。10月の神宮24時間走までに再生するといいのだが。
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by makani_tomo | 2012-08-28 21:19 | TJAR

TJAR参戦記~レース中~

12日00:00 スタート

今回は、奥野選手コースを進むことにした。
が、いかんせん、荷物が重い。
乾燥重量6kg程度にしたはずだが、1日目の食料や水1L、お茶500mlを追加したため、8kgくらいまで増えていたと思われる。お茶500mlを持つのであるから、水は500mlでよかった。途中、自販機もあるので、もう少し減らしてもよかった。このあたりの軽量化について、考える余裕が全くなく、余計な負荷を掛けることになってしまった。

反省点1:スタート時の水分は最低限でよい。途中の自販機で補給すべし。
奥野コースは、なかなかトリッキー。田んぼのあぜ道や、用水路の脇などを通る。ひとりでは行けないコースだ。やはり間瀬コースの方が速いという話もある。次回はどうしようか...トリッキーな道だから、あまり引き離されない様に頑張って付いていく。が、やはり荷物が重く結構疲れてしまった。

04:15 馬場島着
2008年の時よりも30分遅い到着。2010年の時より45分遅い到着。むむむ。
まあ、焦る必要はないのですけどね。
とはいえ、眠さでペースダウンしてしまっていましたから、その影響はこの後も続くわけです。
わずか30分の遅れですけど、実はここから歯車はずれ始めていたわけです。

ここで、足にスキンケアを貼ります。そもそもスタート前に貼っておくべきもの。バンドエイドもしかり。こういうことが、スタート前にちゃんと出来なかったのも、反省点です。

それでも、4時半過ぎには早月尾根を登り始めました。しばらく行くと、岩崎選手が座り込んでいます。睡魔に襲われている様です。ほどなく僕も睡魔に襲われ、道のわきに座り込むことに。このあと、早月小屋までは登っては座り込み、登っては座り込みを続けながら進むことになります。

早月小屋では、コーラを飲んで、持参したサンドイッチを食べます。明るくなっていますので、徐々に睡魔は消えて行きました。

10:20 剱岳
2008年時より1時間35分も遅いのですよ。いやいや、参りました。下山の渋滞は、想定の範囲内でした。剣山荘では、中で食事をしようとしたら、おばちゃんに「遅れているんだから、外で食べたら?」といわれる始末。ちょっと悲しい。。。
でもトイレついでに中で食べたら、岩崎選手と町田選手がいた。急いで、うどんを食べてコーラを飲んで岩崎選手と共にスタート。田村選手が、ちょうど到着した。おや、どこで抜いたのかな?

岩崎選手と共に進むのだが、ネムネムコンビのペースは上がらず、別山下でついに昼寝を決行。寝やすい斜面だったので、気持ちよく20分ほど休めました。これで少し復調して、別山への急斜面は上手くクリア。トラバースルートも通過して、立山への道を急いだ。

立山(大汝山)では、初めて小屋に寄った。ここで、ジンジャーエールとおでんを頼んだのだが、このおでんは美味しかった。餅入りのTJAR特別仕様の様だった。

16:23 一ノ越
その後、山頂を踏んで、雄山に向かい、一ノ越に下った。さすがに、観光客は少なく、サクサク下ることができた。前回は、ここでリタイアした。今回は少しNHKのインタビューを受けて、先を急いだ。

お天気がものすごくよく、そしてこの時間になると剱岳や立山に夕日があたって実に美しい。景色がいいとペースも上がる。五色ヶ原に向かって先を急いだ。スゴ乗越小屋は混んでいるので、その手前スゴ乗越あたりでビバークできればと思っていた。

ザラ峠に降り切る間際、身体がよろけて、ストックの上に倒れてしまった。なんとこれで、ストック1本折ってしまった。大切なランブラーさん特製ストックが...それも1日目に。調子を上げてきていただけに、ちょっとショック。

五色ヶ原に登る直前に、後ろから猛スピードで走ってくる人がいた。誰かと思ったら、コマケンさんだった。さすがに速い。

17:42 五色ヶ原山荘
五色ヶ原山荘では、ご主人のご厚意で食事をすることができた。カレーライスである。ここで、岩崎選手と先に進むかどうか悩んだ。少しでも進んでビバークできるところがあったら、ビバークするという案と、腹をくくって五色ヶ原でビバークする案。先に進んでビバーク適地がある保証はない(実際はあった)。それよりも、早く休んで睡眠不足を解消し、2日目の立ち直しに期待することにした。たらればであるが、スゴ乗越までなら3時間で行けるので、行った方が翌日楽になっただろう。

反省点2:1日目は少なくともスゴ乗越までは行くべし。
五色のテン場には、我々より遅れて田村選手が到着した様だった。

13日02:05 五色ヶ原のテン場スタート
1時半頃起きて、身支度をし、コンタクトを入れて、おにぎりを食べて出発準備をした。岩崎選手とは2時頃出ようと話していたので、起こしたのだが、ものすごくグッスリ寝ていたので、メモだけ残して先にスタートした。田村選手は1時半頃にスタートした様だった。

NHKのカメラが小屋近くまで追ってきた。小屋は2時15分くらいに通過。時折、先を進む田村選手のライトが見えた。鳶山山頂付近でビバーク適地が1ヶ所、越中中岳に登る途中の広い斜面で、更に2か所ほどビバーク適地はあった。

スゴ乗越を越え、小屋に向かう手前でNHKのクルーに会った。

05:39 スゴ乗越小屋
小屋ではジュースを購入したのだが、「テン場代は払ったか?」と問われ、「泊っていないよ。今到着したんだよ。」と答えた。

天候が悪化しそうなので、おにぎり1つ食べて、そそくさと出発。案の定、すぐに雨が降ってきた。カッパの上下を着込む。標高を上げるにつれて、風も強くなる。相変わらず、ここは風が強い。
北薬師岳までは遠い、そして北薬師から薬師岳も意外に時間が掛かる。

08:27 薬師岳
スゴの小屋を出発してから2時間30分も掛かってしまった。ここのコースタイムは220分だから、70%弱である。全体としては悪くないけど、2日目の初っ端だからもう少しペースを上げたいところだ。強風の影響ということにしておこう。

きれいになった薬師岳山荘で何か食べようかとも思ったが、どうせ太郎平で何か食べることになるので、ここはスルー。

09:41 太郎平小屋
NHKの取材を受けながら、カップヌードルを食べる。ペプシコーラも飲む。靴下を履き替え、スキンケアーを貼り直す。さすがにこの雨で、スキンケアーもふにゃふにゃである。

少々長居をし過ぎた。水を補給して出発と思ったら、町田選手が到着した。10時15分太郎平を出発。2008年の比べて3時間遅れ。

その先も風が強い。北ノ俣岳に出ると、もっと風が強いという話を聞いた。これは、先が思いやられる。しかし、進むしかない。なんとか明るいうちに西鎌尾根のややこしいところを通過したい。

黒部五郎岳の登りは、かなり厳しかった。耐風姿勢を取らないと、吹き飛ばされそうだった。いやぁ、これは参った。

13:33 黒部五郎岳の肩
かなりガスが濃いので、カールに下りずに、稜線コースを進むことにした。前にひとり、稜線コースに向かった人がいると聞いたからだ。そして、稜線コースは2010年の試走の時に経験している。しかし、結果的には、カールの方が良かったようだ。マークが見えないほど、ガスは濃くなかったようだ。その証拠に、僕が黒部五郎小舎に着いて間もなく、町田選手が到着したのだ。彼とは、ほぼ同じスピードで進んでいると思うので、太郎平での差を吸収されたことになる。

反省点3:黒部五郎小舎へは、カールで行くべし。

小舎では、うどんを食べた。温かくて美味しかった。そして、町田選手よりもひと足先にスタートした。

17:06 三俣蓮華岳
ペースはあまり変わらず上がらない。しかし、コースタイム65%くらいはかろうじてキープか。
双六小屋へは、した道を行くつもりが、中道方面に進んでしまう。あわてて引き返したら、町田選手がいて、した道はかなり雪が残っていて通過しにくそうだという。そこで、2人して中道を行くことにした。

中道は何回も通っているのだが、少し記憶があいまいになっていて、上道との分岐がなかなか現れないので、やきもきする。結局、記憶よりはずいぶん遅れて分岐が現れる。あとは、坦々と進んだ。相変わらず、風は強い。

18:27 双六小屋
太郎平から休憩込みで8時間12分掛かっている。コースタイムが625分だから、80%近い。これは遅すぎる。強風の影響があったとしても、70%に収めたいところだ。ちなみに、2008年の時は6時間35分で来ている。この差は大きい。

双六小屋では、水の補給だけして、先を急ぐことにした。が、樅沢岳に登り始めたところで、この強風の中進むことは危険だと判断した。そこで、町田選手に「一度戻って、風が弱まるのを待ちませんか?」と提案し、2人して戻ることにした。

天気予報では、天気は好転しないと言っているらしい。町田選手は、ここでリタイアを選択し、小屋泊りとなった。僕は、強風の中テン場へ行き、シェルターを設営した。しかし、暴風雨の中の設営は、かなり困難を極めた。シェルターが、上手く広がらない。手を離すと飛んでいくので、中に荷物を突っ込み、重しとした。中に入り、ポールを張る。張った瞬間風を受け、シェルターが180度反転した。方向を戻すことはあきらめ、2本目のポールを張る。設営はできたが、中に人がいないと飛ばされること必至だ。

とりあえず、マットとレスキューシートだけ取り出し、横になる。過去の経験したことのない風雨に、もはやこれまでではないかという気持ちになる。20時が過ぎ、21時になる、ますます風の勢いは強い。雨も強い。雨はいいのだが、風さえ弱まってくれれば...

22時過ぎに、風が弱まり、出発準備をした。が、シェルターの中で片付けをしている間に、また風が強くなった。仕方なく、すぐに出ることのできる状態で、風が弱まるのを待った。そして、リミットの23時、少し風が弱まった隙に、出発した。上高地の関門時間から考えて、かなり、ギリギリのタイミングであった。

反省点4:濡れた靴下は、なるべく早く履き替える。特に夜間は。
23:05 双六小屋発
登り始めると、相変わらずの強風であった。二重稜線になっているところはマシなのだが、飛騨側に出ると猛烈な風にあおられる。暗い中の西鎌尾根は、過去にも経験があるのだが、慎重に歩を進める。鎖場が連続すると、千丈乗越も近い。ここまでくれば、あとは1歩1歩登るのみ。

14日03:04 槍ヶ岳山荘
夜間かつ暴風雨の中で、4時間で西鎌尾根を抜けたのは、及第点をあげてもよいかもしれない。それにしても、槍の肩に着いた時には、ほっとした。

しかし、ゆっくりしている暇はない。急いで下山開始である。途中、殺生ヒュッテの人が休んでいくか?と声を掛けてくれた。ありがたかったが、時間がないので先に進んだ。

坊主岩の先で、ちょっと迷ってしまった。ヒュッテ大槍方面に行きかけてしまった。15分のロス。

あとは、まあまあ順調に進んだが、時間がない。勾配が緩くなり始めたら、走りを入れる。槍沢のあたりで、田村選手に追い付く。体調はどうかと聞いたら、低いけど大丈夫だという。時間ギリギリだから走ろうと言って、先に進ませてもらった。

槍ヶ岳山荘から上高地(河童橋)までのコースタイムは480分(8時間)である。3時過ぎに槍ヶ岳山荘に着いているから、関門時間までは5時間近くある。コースタイムの62.5%でいいのだ。しかも、上高地に近づくと走れる道になる。余裕で間に合うはずなのだ。

しかし、僕はどこかで頭が混乱していたようだ。横尾山荘を過ぎたあたりで、もう間に合わないと勘違いし、歩き始めてしまったのである。頭の中では、休暇を短縮しなくてはいけないかな...などと考えていた。

ところが、後ろから走ってきたのは岩崎選手。走れば間に合うと言うではないか。一緒に走りだして、徳沢ロッジにある上高地までのキロ表示を見て、確かに間に合うことに気づいた。そこからは、頑張って走り、明神を越えたところで、間に合うことを確信した。

岩崎選手と歩いていたら、バスターミナル手前で、宮崎選手とも一緒になった。どうやら、昨晩到着し、テントで寝ていたらしい。

07:43 上高地CP
岩崎選手のおかげで、間に合った。良かった~。

売店でカレーパン豚肉巻き、コーラを買い朝食。トイレに行き、コンタクトをはずして眼鏡に。靴下を換え、8時半頃スタートした。ここで、ちゃんと足のケアをすべきであった。夜に着いていれば、寝ている間に足を乾かすこともできた。

08:25 上高地発
ロードを進む。しかし、この時初めて眼の障害が現れた。像が完全に二重になってしまうのである。わけがわからなかったが、目薬を持っていたのでそれを点したら、戻った。眼鏡なので、コンタクトの問題ではない。この時は、あまり気にしなかったが、これが重大なトラブルの始まりであった。

トンネルの中では、側道の抜けたふたに気付かずに、ズドンと落ちるなど、なかなかやらかしてしまった。トレントフライヤーも破けてしまった。

沢渡では、売店前のベンチでアルファ米を食べた。宮崎選手も休んでいた。

奈川度ダムを抜けるとホッとした。売店で、荷物を乾かしながら休憩。ここでも、宮崎選手と一緒になった。

あとはひたすら歩くのみ。途中、シェルターを乾かしながら歩いた。ザックカバーを沢渡のベンチに忘れてきたのが痛かった。

境峠手前では、実家に帰省中のイケメン兄弟の応援を受けた。あとからわかったことだが、彼らのお父上は、僕の会社の先輩であった。世の中狭いものだ。

17:37 境峠
2008年より6時間以上遅れている。ここは頑張って進むしかない。木曽のスーパーまるとは、選手に好意的なお店だ。閉店時間ギリギリに飛びこむことができた。ここで、ザックカバーの代用とするために黒い大きなゴミ袋を購入、さらに太巻きと稲荷寿司の詰め合わせ、えび天を購入。店先のテーブルを使わせてくれると言うので、ありがたく食事。とその時、宮崎選手登場。彼もお弁当を買っていた。

夜になると涼しいので、今夜はビールはいらないなと思っていたが、コンビニまでが遠いのだ。木曽日義のサークルKに着いたのは、22時40分。(まるとを出てから、約2時間)あまりに疲れたので、つくねを買い、ビールを飲んだ。そして、替えのソックスも購入。

ビバーク地点は木曽駒高原スキー場跡地と決めていたので、頑張って歩く。登れど登れど、着かない。そのうち、福山選手が追いついてきた。下の神社で寝ていたらしい。一緒にスキー場後に到着し、僕はビバーク、彼は進んだ。

15日01:00 木曽駒高原スキー場跡地
シェルターの中で、足裏のケアをする。ふやけた状態で歩いていたので、すでにマメが出来ている。急いで処置をする。そして、コンビニで買ったイモ焼酎を飲んで就寝。この日は良く眠れた。

06:30 木曽駒高原スキー場発
もう少し早く出るべきだった。が、疲れていたせいか、眠ってしまっていた。

登り始めてほどなく渡渉。これ、何とかならないかな。幸い、昨夜買った黒いごみ袋がたくさんあったので使ってみたけど、すぐに破れて役に立たず。う~む。

頂上木曽小屋では、カップラーメンにお茶。偶然、静岡出身の若者が休んでいた。僕もなんだかんだと30分くらい休む。

13:30 木曽駒ヶ岳
頂上からの下山時、またもや眼のトラブル。完全に二重になる。片目で進むが、宝剣山荘に向かう途中、のやや危ない箇所で止まってしまう。なんとか抜けて、宝剣山荘に脱げ込む。コマケンさんと志村さんがいた。

まずは、コーヒーを飲んで身体を温める。しかし、眼は治らず。続いて、カップラーメンを食べるが、まだ治らず。結局眼の像が一致するのに、2時間くらいかかった。ここで、リタイアするのが一番の正解だったのかもしれない。しかし、治ったことで、進みたくなった。時間的にはまだ余裕があるので。

16時頃になり、宝剣山荘をスタートした。宝剣は順調に越えた。しかし、風は相変わらず強い。コマケンさんの見送りを受け、先を急いだ。明るい間に、少しでも進みたかったのである。しかし、少し広い稜線に出たところで、また像が二重になってしまった。片目だと進めるのだが、緑内障を患っている眼では、片目で見えるエリアは狭く、ルートファインディングができない。もちろん、両眼では進めない。

進退窮まったところに、岩崎選手が来た。とりあえず、彼の後ろを追い、ビバークできるポイントを探すことにした。そして、18時半ごろ、稜線上ではあるがハイマツと岩場の陰で、風が直接当たらないポイントを見つけ、ビバークすることとした。このまま片目で進むには限界があったし、岩崎選手にも迷惑をかけることになるからだ。

すぐに治るかと思ったので、レスキューシートだけを出して羽織り、岩陰に座っていた。しかし、一向に治る気配がないので、マットを出し、それを敷き、横になることにした。黒いビニール袋があったので、これを使うと温かく、なかなか快適な空間になった。しかし、眼は治らない。結局治り始めたのは5時間を経過した後であり、そこから少し様子を見てビバーク地点からスタートしたのは6時間を経過した、24時半であった。

16日00:30 ビバーク地点発
再発しない様に、気を付けながら進む。といっても何がきっかけでなるのかわからないので、リラックスしながら進むことしかできない。でも、真夜中であり進路を見極めながら進まなくてはならない。幸い、何回か二重になったが、すぐに治った。

檜尾岳までは、ペースが上がらなかったが、徐々にペースも上がり、木曽殿小屋には7時24分に到着した。

08:53 空木岳
この頃になると、快晴である。日差しが肌に痛いくらいであった。急いで下るのだが、ここの下りは長い。足裏のコンディションも最悪である。そして、ハンガーノック状態でペースは上がらない。幸い眼は平気だが、この先への不安を感じる。南に入り、また同じことが起こったら、どうなるのだろうか。昨夜は6時間で再スタートできたが、もっと時間がかかったら、遭難ということにもなりかねない。いろいろなことを考えていたら、菅の台まで5時間もかけてしまった。

13:50 菅の台
とりあえず、バス停脇の売店で補給。その後、選考会でお世話になった駒ヶ根ファームスの2階でソースかつ丼を食べる。その頃には、南に入るのは危険だと判断し、リタイアを決めていた。

駒ヶ根で、僕のTJAR2012は終わった。

あのまま、南に入っていたらどうだったかはわからない。もし、眼のトラブルさえ再発しなければ、完走できたかもしれない。しかし、再発したら、とんでもないことになっていたかもしれない。

一選手であれば、もう少し思い切れたかもしれない。実行委員が、遭難騒ぎとなることだけは避けたかった。選手一人ひとりが主催者であるとはいえ、実行委員が山中で動けなくなり、救助を要請すると言うのは如何にもマズイ。ここは自重すべきだという気持ちが、身体にブレーキをかけたのだろう。大人の判断といえば、それまでなのだが、内心忸怩たる思いがあったことは言うまでもない。
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by makani_tomo | 2012-08-27 18:52 | TJAR

TJAR2012参戦記~スタートまで~

ご無沙汰しておりました。

改めて書くまでもなく、TJAR2012は市野瀬でのリタイアとなりました。
眼のトラブルが原因なのですが、これが過去に経験のないものでしたので、かなり動揺しました。
そのことも含めて、記録には残しておきたいと思います。

8月11日(土)
前夜は遅くまで会社の仕事。
その後、出掛ける準備をして、朝方就寝。
昼近くまで寝るはずだったのだが、気持ちが高揚しているせいか、あまり眠れず。
全ては、ここから歯車がずれ始めていたのかも。

それでも、昼ごろまで軽くお酒を飲みながらリラックス。
14時ごろには家を出て、デパートで畑中さんへの手土産を買い、新幹線で食べるお寿司などを買い、電車に乗った。

15:55 池袋発
16:17 大宮着
16:38 大宮発 上越新幹線
17:30 越後湯沢着
17:38 越後湯沢発 特急はくたか
19:24 魚津着

魚津駅では、富山県山岳連盟の畑中さんに迎えに来ていただき、船橋君と2名ミラージュランドまで乗せていただいた。
途中、コンビニで水を買ったのだが、コンビニにいる間に、雨がものすごく降ってきた。天気予報通り、これはやばい...

ミラージュランドに着き、雨をしのげる場所をさがし、地下道を使うことにした。
岩瀬さん、田中さん、飯島さんらも到着し、受付準備を始める。今回は、GPSトラッキングを行うため、準備が大変。面白い企画なのだが、初めてということもあり、運営側には負担となる。

21時半、ぼつぼつ選手が集まり始める。来た選手から、順次受け付け。
以前は、ゼッケンを渡すだけだったが、今回は以下のものを渡した。
・ゼッケン
・ザックタグ
・テントタグ
・GPS携帯電話
・予備電池

ゼッケンは、ゴールドウインさんに作っていただいたものに、他のスポンサーのロゴを後付けしたもの、結構手間が掛かっている。
ザックタグとテントタグも手作り。
GPS携帯は、借り出し手続き、テストを行い、さらに1台1台設定が必要。
予備電池は、他のCPで渡すもの含めて、事前にフル充電しておかなくてはならなかった。
これらを、実行委員7名でこなすのは大変。
もちろん、他に様々協力してくださる方々がいての話。
実行委員だけでは運営できないのである。

受付、荷物チェックが終わると、ブリーフィング。

23時半に、一斉にGPS携帯の電源をON。そして、公式サイトをチェックすると...なんと重すぎて表示できないらしい。これは困った。公式サイトは、このGPSトラッキングがウリなのに、表示できないなんて。今回、最低限の予算でサイト構築を行ったために、アクセスが集中した場合にそれに耐えられなかったらしい。次回以降の課題が残った。
なんてことを、スタート数分前までやっていました。

バタバタしている間に、スタッフモードのままスタートした感じ。
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by makani_tomo | 2012-08-27 15:59 | TJAR

TJAR直前~ドタバタのあとの静寂~

ここのところ、すべてのレースにおいて、寝不足&ドタバタで参加しているのですが、今回のTJARはその集大成のようなもの。会社の仕事の合間に、TJAR実行委員としてGPSトラッキングの対応、ご協賛いただいている企業への対応、公式サイトのフォローなど処々行っていますので、なかなか選手モードになれません。

しかし、このレースの運営に関われることは、大いなる喜びです。多くの人の協力を得て、公式サイトを立ち上げることができました。僕が会社に入った頃からの長い付き合いである、That'sコーポレーションの渡邊さん、井月さんには本当にお世話になりました。デザイナーの井月さんの献身的な支えがあってこその、公式サイトです。

GPSトラッキングでも、多くの人の協力を得ることができました。日本ロゲイニング協会の高島さん、ロケーションの竹島さん、マイテックの岡村さん、ドコモの藤間さん、NTTの芝田さん他、たくさんの人々が、TJARの精神に賛同してくれました。ありがとうございます。

スタートは富山県魚津なのですが、実行委員の誰もが富山には住んでいません。現地での様々な手配を、富山県山岳連盟の畑中さんが行ってくれました。感謝申し上げます。

こうして、多くの人の気持ちの上に、TJARは成立しています。選手やスタッフのみならず、見えないところで多くの人々がサポートしてくれています。残念ながら本大会に出ることができなかった選手の気持ちも、このレースを支えています。そして、家族や友人など多くの人の応援が、TJARを支えています。

さて、そろそろ選手モードに切り替えないといけません。今、荷物を測ったら、乾燥重量で6.3kgでした。GPS携帯3台を含んでいるので約6kgですかね。雨対策で少し荷物を増やしたにしては、まずまずでしょうか。直前にコンビニでおにぎりなど買うので、少し重くなりますけどね。


お天気は心配ですが、雨が降ることは避けては通れないので、雨を楽しむことにしましょう。幸い、昨年夏に盟友かどさんと北アルプスに行ったときは、雨続きでしたからね。

今回の大会では、関門CPにはスタッフが入ります。市野瀬CPには「山たの」の武田さん。実行委員でもあります。三伏には、アゴヒゲさん、山口さん、あんちゃん、高橋さん。アゴヒゲさんに会える可能性は低いけど、あんちゃん待っていてね!アゴヒゲさん、大浜でのキンキンよろしくね!

前回大会は、スタート直前に母の交通事故の連絡が入り、一ノ越でリタイアしました。母は、そのことをこの2年間気にし続けていました。今朝、母とは電話で話しました。ゴール予定を聞かれ、「19日午後」と言うと「18日にならん?」とハッパをかけられました!頑張ります。

2008年は、自分への挑戦でした。今回は、もう少し大きく構えて、人間の持つ潜在的な力を表現できればと思っています。3.11で自然に対する人間の無力さを痛感させられました。しかし、その後も被災地の人々は、力強く生きています。東京も混乱しました。多くの人が自分の足で自宅に帰りました。自分の足で、帰らなくてはならない。→帰ることができる。そんな風に意識を変えることができれば。人間はもっとできる!もっとも、自然の前には謙虚になりながら。そして、楽しむ心を忘れずに!

直前までドタバタしていたのに、いまは静か。扇風機の音だけが耳に届いています。集中力が高まりつつあります。あとのことは、岩瀬さん、武田さん、Sueさん、どうかよろしくお願いします。コース上でのことは、僕も対処いたしますので。

みんな、ありがとう。

さて、そろそろ出かける準備をします。今後の詳しい様子は、公式サイトでご確認ください。
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by makani_tomo | 2012-08-11 13:47 | TJAR



走って、飲んで、そして読んでおります。
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